福島県いわき市勿来に行ってきました / 山崎範子

避難所への炊き出し

震災以来、被災地への炊き出しや物資支援を行っている大塚モスクに協力し、7月4日、5日に勿来市民館・みなみの森スポーツパークに夕食を届けました。調理はいわきモスクで行いました。
モスク駐在のコック、レイマッドさん(インド人)、東京文京区から行った浅田保雄さん(今回のリーダーで調理人)、ゴリちゃん(お名前失念、4日のみ)、池本達雄さん、池本英子さん、山崎範子の計6人です。以下の報告は市民館は池本英子、みなみの森は山崎です。

7月4日(月) 秋刀魚の梅干し煮・鳥の照焼・ポテトサラダ・肉団子スープ・ごはん
●勿来市民館21名
私にとっては三回目になる市民会館は、以前会った方々はどうしていらっしゃるかと思いながらの炊き出しとなりました。
階段をあがって行くと市の職員と一緒に最初に配膳台に見えた女性は前回もお会いして話を聞いた方でした。
ご飯入れてくださいね、と容器を持参して来たのは朝食用のご飯のためでした。
既に届いていた、朝食は、菓子パンと牛乳です。高齢の方の中にはパンが食べられない方もいるようです。
小学生の男の子は、今日のメニューは何?とのぞきに来ました。市の方が声をかける前に続々と皆さん受け取りに来てくれました。お魚!嬉しいね!お代わりしていいの!などなど。
市民会館も21名と少なくなっています。既に遠野に移る家が決まっている方が声をかけてくださいました。奥様と犬の三人家族なので遠くても犬も一緒に暮らせる家に決めました。6部屋もある広い家だから是非遊びに来てくださいと名刺をくださいました。人と人を結ぶことが一番と言って和の会を主催している方でした。

●みなみの森スポーツパーク45名
体育館なのでエアコンはなし、玄関先の広々とした空間で配食。テレビ・新聞コーナー、子どもの本屋おもちゃのコーナーがあります。
魚を喜んでくれる人、魚はいらいから鶏肉をその分欲しいという人、スープを要らない人、ご飯を要らない人、さまざまですが、暑さもあって皆さん食欲は落ちています。
朝の菓子パン、昼のおにぎりを、食べられないから断っているので夕食だけ、という女性もいました。
明日の夕食のリクエストをうかがうと、聞いた人すべてが「麺類が食べたい」でした。
仕事、入浴などで外出している方が多く、さみだれ式の配食、最後は10数人分を盛り付けて置いてきました。

7月5日(火) 冷やしうどん・かき揚と竹輪の天ぷら・五目炊き込みご飯・野菜の塩もみ
●勿来市民館20名
市民会館に着くと、市の職員の方から朝一名の方が出られましたと伝えられました。
配食の準備をしていると昨日と同じ小学生の男の子が今日は何?とやってきました。
コックのレイマッドさんにも慣れていてサンキュー!と声をかけていました。
レイマッドさんは、部屋の方にも運ぶお手伝いをしています。
部屋では、日本間の中をダンボールのつい立てで仕切られています。その中で家族単位、高齢の女性グループ単位に分かれて楽しそうに食事をしていました。運んだついでにちょっと覘かせていただきました。皆さん今日のメニューにも美味しいわよ!と声をかけてくださいました。
食事の終わった方と市の職員に見送られて市民館を後にしました。

●みなみの森スポーツパーク45人
冷やしうどんのメニューに大歓声でした。
大盛り、お代わりの続出に多めに持ってきたうどんが足りなくなりました。薬味の葱と茗荷ももっとたくさん刻んでくればよかったと後悔しました。
こんなメニューが昼にも食べたい、と1日1食といっていた女性が何度も言っています。
仲よくなった子どもがお代わりに来たので「おいしかった?」と聞くと、「何でもおいしいと言わないと叱られる」という返事でした。浅田さん、池本さんの首にぶら下がってなついています。
避難されている方が、駐在職員(いわき市か福島県の方?)に対して横柄な口ぶりなのがとても気になります。不満がたまっていてはけ口がないような雰囲気がありました。
皆さん、お盆やダンボールを利用して生活空間まで食事を運びます。
宮城の避難所を何ヶ所か行ったときに、入口付近に食堂のような場所(単に椅子と長テーブルを置く)を設えている場所がいくつもあり、食堂・交流スペース・外部方の訪問者のための応接空間となっていて、とてもよかった話を職員の方にしたら、「うちもそうすればよかった。福島にはそういうところはほとんどありません」ということでした。
やはり戻っていない人が多く、17人分を盛り付けて帰ってきました。

久之浜の諏訪神社で

久之浜仲町の諏訪神社の青年宮司の高木優美さんにお会いし、お話を聞きました。
「地震・津波・火事で大きな被害を受けた久之浜では、解体・撤去の意思確認のできた家屋の解体と、解体前の家財道具の分別作業が行われています。
ボランティアセンターでのボランティア受け入れが7月20日で打ち切りとなるため、地域の仲間と『久之浜・大久保地区 復興支援チーム “結”』を立ち上げました。
家が神社ならば、最後まで逃げることはできないだろう、と言われ、若造ですが私が代表です。
9月末までの一つの区切りとして、ボランティアの受け皿になりたいと考えています。
まずは、久之浜を見にきてください
いまの状況を見てもらうだけでも歓迎します。
見て、何かできること、やってみようと思うことがあったら行動してください」

大塚モスクより

いわきモスクに駐在しているコックさんはインド料理のプロです。
日本人の味覚にあわせ、工夫してくださっていますが、連日の炊出しメニューに苦労されていました。
カレーのほかに焼きそば、野菜炒め、親子丼など、モスクで用意できる食材を使ったメニューを一緒に考えました。
とにかく、そこに困っている人がいるのだから・・・という姿勢に頭が下がります。

この7月4-5日の炊き出しは大塚モスクの支援報告87-88にあたります。
大塚モスクの支援状況は下記のサイトからも読むことができます。
http://www.islam.or.jp/

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