3.11と防災コミュニティを語り合う集い(2011年7月8日)の報告 / 森まゆみ

谷中コミュニティセンターの建て替えをめぐる意見交換会が現地で行われました。次回を堂々巡りにしないためにも、前回に出た意見を簡潔にまとめてみました。テープは山中瑞穂さんが迅速かつ正確に起こして下さいました。6・5の話し合いで出た意見も最後に加えました。ご自分の発言にまちがいがあったら訂正して下さい。次回はこの中から深めてゆくべきテーマを抽出して,柱を立て話し合いましょう。

3.11と防災コミュニティを語り合う集い。2011・7・8(文責森まゆみ)

最初に区議会で趣旨採択された陳情書読み上げ。
現谷中コミュニティセンター沿革と、建て替え基本計画の経緯、現状
区からも4人の課長、係長さんが傾聴に来てくれました。

浅尾さん(コミュティ委員会会長)
*三十三年前の建設にも関わった。防災広場の整備にも関わった。もともと近藤邸の2千何百坪の土地は一体のもの。後から付けた区道をはずしてセンターと広場を一体のものにできないか。避難路は確保した上でセンターと広場を近づける。外来者のためのカフェテラスも欲しいという意見がある。
*防災だけが強調され、コミュニティが消えている。日常でちゃんと使うことが大事。子供クラブは最初の定員は30名だが、今は55名満員。谷中の子供は増えており、今度は70名くらいの施設となる。
*子供も老人も一緒にふれあえる、絆を太くつくることが防災には大事。
*説明不足かも知れないが、町会やコミュニティ委員会は説明会の告知はしている。それでも今までは関心がなく町会長ですら来ないと集まりが悪かった。

野池幸三さん(谷中連合町会長・森が聞いて来たメッセージ)
*われわれなりにいろいろ考え、説明会も防災イベントもやって来た。基本計画は手続を踏まえてなかなかよいものになったと思う。
*今さら言われても困っちゃうが、3.11のことがあってみんなが不安を持ったり、関心が高まるのは理解できる。こういう会を開くことはいいことだと思う。

橋詰まり子(看護師の立場から)
*谷中と隣接する千駄木は路地や横町が多く、地震で火事があれば燃えやすい危険な地域。3・11のときも文京区側の人が初音の森に逃げたという。広い避難場所は初音の森か、須藤公園しかない。
*東京の場合、神戸のような都市型災害になるが、神戸は幅が狭く海も近い。東京はずっと広い範囲で海なども水も遠く、何が起こるか予測できない。3・11でもお台場で1・5メートルの津波があった、直下型ならもっと大きな津波の可能性もある。
*文京区は大病院が多いが、谷中のこのへんは小さなクリニックが二つ。神戸でも早朝から一軒の町のクリニックに1000人、押し寄せた。もしかすると防災広場で野外診療ということもあり得るし、医院が焼けたりアクセスできなかったりしたらコミュニティで代替して治療、入院ということも考えられる。医療用のテントは必要だろう。
*3・11以降、被災地では肺炎、気管支ぜんそく、慢性呼吸器不全、出血性胃潰瘍、心筋梗塞などが多発している。不安から繰る精神疾患もおおい。ここで対応できるのか。避難所での感染症、結核既往者からの乳幼児への感染などもどう防げるのか、対策が必要だ。
若い人のイライラ、肩こり、冷えによる腰痛も目立った。
*赤ちゃん用のミルクをつくる水がとにかく大事、人工透析でも水は重要。地下の貯水槽にはどのくらい水があり、どうやったら使えるのかの周知徹底が必要。
*物資は東京の場合どこから来るのか、3・11では紙おむつ、老人用も含め、ミルク、靴下、下着が当初足りなかった。食糧はどうなるのか。
*阪神ではお風呂にわざわざ大阪まで入りにいった。東日本の場合は少しいった山側に温泉があり機能している。東京の場合どうなるのか。夏ならシャワー施設も有効。

星野諭(NPOこども・わかもの・まちing)
*防災イベントを楽しく、あそびを通じて学べるものに。
*防災コミュニティセンターを通じてどれだけ顔の見える関係がつくれるかが大事。
たくさんの親子が集、絆をつくるために、集いたくなる空間を作る。カフェなどもあるといい。モノづくりができるスペースも。運営に参加していくことが大事。
*情報の受発信の拠点にしたい。ここにくればいろんなことがわかる。地域の情報が得られる。
*世代を超えたネットワークづくりを。若者のチャレンジを応援する場に。
*年を重ねた住民の技術や知恵を受け継ぐ場に。叩きの作り方、マッチの付け方、火の起こし方をならう。
*コミュニティは町会と同義ではないのでは?さまざまな団体や活動がある。

阿部玲奈(台東区社会教育団体「親子でどんぶらこ」池之端在住)
*ここで生まれ育ったものではないが越してから子供とコミュニティセンターをよく使っている。ここがあることで友だちや地域の知り合いが増えた。
*食事のできる場所が欲しい。子供はおなかがすくと待ったなし、飲み物食べ物を持って動いているので、お弁当を使える場所を。食をいっしょにすることは親同士・子供同士のコミュニケーションにつながる。
*防災広場のかまどを使いたいが焼き芋をするまでに道を探り、許可を得て大変だった。誰でもいつでも、というのは難しいかも知れないが、災害があった時に許可を得なくても使えるようになっていなければ意味がない。(田辺さん、谷中に三代、今の若い方はスイッチひとつでガスや電気を使うので火の起こし方を知らないひとが多い。新聞を丸めて火を薪につける訓練も何回もした)
*子どもが小さい家族で子育てで精一杯で町会に入っていないとか、町会とのつき合い方がわからない。夜の会合にはなかなか参加できない。コミュニティの事務室に行って何かお願いしても要領を得た返事がいただけない。(浅尾さん、管理は区だが運営はコミュニティ委員会なのでそちらに言ってほしい)
でも誰にどのようにいったらいいかなかなかわからない。
*世田谷の羽根木公園で始まった冒険遊び場を谷中でもやりたいと思う。森をちょっと開放していただけたら。木登りとか、木に触れる機会を欲しい。
(浅尾さん 百年も建った木をきらないのが区の考え。木登りなどをすると危険も出て来る。広場の管理は区の危険管理課だが、コミュニティ委員会に任せてほしい。そうしたらもっといろいろできる)
(文京区・山﨑範子さん・千駄木の屋敷森も区から朝夕開けるときの鍵は預かっているが、冒険遊び場などはできていない。でも横浜や世田谷などの経験に学び、誰がコーディネーターとなるか、事故の責任を自分でもつということにすれば使えないことはない)
(上野桜木・関さん・初音の森は江戸時代から続く由緒あるもの、守るという趣旨で残したものなので、ご時世だからここで冒険遊び場をというのはどうか。なにもかも子供を優先してというより、自然の大切さを教えることも大事)
それはわかる。単純に森を開放しろと言っているわけではない。いまの広場もいいが、もうすこし木陰も欲しい。

松下朋子(建築士、災害人道医療支援会スタッフ、ユニセフスタッフ、南三陸町で一ヶ月ボランティア)
*医師や看護婦でない私にできることは医療環境を整えること。
情報共有が大事。医療チームが来るとしても、どこに行くべきか。何が足りないか。ひとが重ならないこと。ミーティングの大切さ。
もともと診療所でないところを診療所にする。広いアリーナで避難者と患者と医療者のすペースを区切る。視線を区切る、事務スペースをつくる、薬品のスペースづくりとものの整理をした。
*ユニセフでは幼稚園や保育園の再建支援中。プレハブよりずっと使えるいいものをという声に応えたい。いますぐ開園してほしいというより、『集まれる場所が欲しい』『一時に預かってくれる体制があればいい』『時間をかけて決めていったほうがいい」という意見も多かった。
*発災直後。混乱。情報が伝わらないことでの非効率、不平等。
*しばらくして。南三陸ベイサイドアリーナは1000人がきたが、天井が落ちて体育館の中に入れず、廊下など狭くて日の当たらないところに朝から晩まで寝ている状態。最初に陣取った順でうごこうとしない。よそから受け入れのオファーが来ても動こうとしない。顔見知りがいるから、情報がはいってこなくなるから、不安だから。
子どもが少ない。子連れ世帯は騒ぐからと遠慮して車の中で暮らしたり、他のもっとこじんまりした避難所へ。
都市的なごった返し方になった。その分、新しくはいりやすいが、廊下には生活保護など社会的弱者も多かった。
段ボールで区切ったりしたが区切りすぎると中の状態がわかりにくくなる。
いったん減ったが、また増えた。親戚を頼って避難したがいつまでも厄介になっていられないので地元に戻ってきた。
程よい大きさの避難所の方が、役割分担をしておたがいケアし合う。男の人は風呂,女の人は炊事などをしはじめる。
体育館を避難所として使う問題は広すぎてプライバシーがない。着替えもできない。
避難所暮らしが長くなると貰う生活に慣れてしまって、自立性がなくなる。行政もいつまでも避難所経営に手を取られて、本来のしごとに戻れない、費用もかさむのは問題。
*自分が被災者になる可能性をイメージしてみること、が重要。何が足りないか、家族とはどういう風に連絡をとるか、どの経路でどこに逃げるかなど。
*最初は食糧や水の確保、寝る場所と睡眠の確保、しばらくしたらしごとに戻る、学校が始まる。夫が失業したり、学校がなかなか始まらないなど、これがスムーズに行かないとストレスがたまっていく。
*災害が起こると使えなくなってしまうものは何か、電気システム、ガス、水道、でんわなど人為的なものは使えなくなることが多い、いっぽう自然は何もなかったように美しい。自然エネルギーとか、つかえるもの。太陽光、地熱、貯水。トイレをどうするかも日頃から考えておく。
*日頃からヒューマンネットワークを構築する。誰と逃げて、誰と共同生活するか。
*復興が余り参加型になっていないのが問題。

藤倉英世(谷中・都市計画)
*三代前からいるが、今まで地域活動には参加できなかった。谷中は災害時には危険な場所、それでもっと老朽化した建物より先に建て替えが認められた。
*避難所は谷中小学校で、コミセンでは応急救護活動、物資の配収、食糧の配布、仮設テントの設置、炊き出しや休憩所。ボランティアの派遣調整、一時避難機能の確保、第二避難所機能、その上区役所が被災した場合はここで区役所機能を引受ける、こんなすベてをここでできるのか。するとしたらよほど考えなくてはならない。
*コミュニティ委員会とじっさいにコミセンをつかっている、あるいは災害時に使うはずの人たちとのマッチングがまだできていないのでは。とくにリーダーシップを発揮すべき若手の意見もきき、リーダーを育てていく。来たら入れてあげるよ、というやり方は通用しない。
*情報をどのように共有するか。地下に大きな貯水槽があることをみんな知らないし、どうしたら使えるのか知らないというようなこと。関心をもってこれから情報を共有していく。
*区長は防災計画を徹底的に見直すといっており、それなのにコミセンが先に計画されるのは、防災計画との整合性はどうなるのか。

中村さん、岩城さん他複数でている意見(1000を越える署名)
*谷中に6軒あった風呂やがなくなり今は朝日湯しかない。前のコミュニティセンターをつくるときは民業圧迫だと言って、使う人数や日数、時間を制限したが、状況は変わって来ている。アパートで風呂のない人も多い谷中で平常から充実した風呂がコミセンにあってほしい。
*文京区側も根津の宮の湯、山の湯も消え、みんなバスで大塚三丁目まで行っている状態。谷根千は一帯の地域なのだから文京区側の住民も使える風呂にはならないか。
*36人定員で同じ人しか使えないというのは平等の原則に反しないか。
*災害の際、風呂があるなしで生活の質が変わってくる。
*施設の中にビルトインしなくても、防災広場で仮設の風呂をつくるという方法もあるかも。

北沢(谷中一丁目)
*田舎は土地が広いから被災しても逃げるところ住むところがあるが、東京は1000万人が万が一焼け出されたら行くところがない。誰もが被災者になり誰も助けてくれない、だからこそ平常のつながり、自分たちのスクラムが大切だ。

菊地
*実家がいわきです。聞いた話だと、お寺には宿泊施設があり、広い境内があり、井戸があって役立った。谷中は100近い寺がありそれは災害時の資源として使えるのでは。お寺をサテライトとして使えないか。


*お寺はひとを助けるためにあるところ。関東大震災時にも向ヶ丘光源寺には数百人が2ヶ月暮らしたという記録がある。谷中宗善寺は阪神淡路で上京する陳情団の宿をして下さっていた。

白田(浅草)
*防災とコミュニティは切っても切り離せない。災害のときどこに何人入れるということや、区ぎり(パーティション)まで考えた設計になっていないと。(松下,学校も最近はオープンスペースがおおく、区切って使うフレキシビリティの多いものが多い。着替えのスペースは災害時はここにつくるとかいうことまで盛り込んでおけばいい)

設計の入札制について
*入札はどんなものを作るかより,安いところに落すシステム。ちゃんとした建築家は入札には参加しないのでは。
*いまはコンペといっても結局決めるのは区役所だったりして、住民が使いやすい建物というより、有名建築家の見栄えの良いプランに決まったりする。建築家がプロポーザルを住民の前でして住民が決めるのがベスト。ヨーロッパなどでは当たり前だし、横浜や藤沢の例などもある。
*せっかく長年地域活動をして地域のことを知り尽くしている建築家が谷中にもいるのにどうしてそういうひとに頼まないのか。

岩本さん(千駄木在住。建築家)
いまあるところに建て替えることに決まっているのか。専門家ならどこに建物を置いたら一番防災上もいいか、景観もいいかなどもわかるはず。敷地と形状をもう少し自由に考えられないか。もちろん防災広場とコミセンは分けるのでなく融合すべき。

益田兼房さん(元芸術大学教授、文化庁)
*谷中はこれだけのお寺があり,町屋が残り、戦前の生活を知ることができる東京ではまれな守っていかなければならない土地で,その点国や都も予算のインセンティブを付けるだろう。
しかし同時に木造不良住宅密集地だともいえて、この防災広場とコミセンでどうやって住民の命と建物や文化を守ってゆくかということが課題。
お寺を守るためには町家が燃えてはならない。地下にある貯水は腐らないように車を洗ったりして循環していくのが京都方式。その水道代は市が払う。谷中の場合、高台の寺との10メートルの落差も利用できるのでは。

坂部さん(生まれも育ちも谷中)
しょうがいを持っている人々にも計画の最初から声を聞いてほしい。バリアフリーは趨勢だが、寝たきりや車椅子の方たちをどうやって逃がすか、避難場所に誘導するか,よく考えるべき。コミセンの図書館に録音図書など置くと,視力しょうがい者がよく利用するようになりコミュニティに参加していける。

その他(今までの話し合いなどで出た意見)
*今まで基本計画をつくるのにご努力されたみなさんに感謝したい。3・11があったから初めて関心をもったというのは我々にも責任がある。しかしこれを契機にみんなで真剣に考えていけばきっといいコミュニティセンターができるのではないか。
*谷根千には地域雑誌のネットワーク、芸工展、一箱古本市、子育て、おしょくじ、ほかいまやたくさんの有能な人々が活動している,町会以外のひとびとをどうやって防災コミュニティセンターに結集していけるか。
*なぜ第二の区役所機能をここに持たせなくてはならないのか、説明が不十分とおもう。
*谷中には40年前と比べ,土日には谷中銀座を中心にたくさんの見学者が来ている。そのときに地震や火事があったらみんな防災広場に逃げると思う。そのことを考えに入れること、人数のおおよその把握なども必要ではないか。
*今まで住民の努力で住民主体のコミセンができて来た。児童館、図書館、出張所機能が入ってくると、区職員がおおくなりどうしても管理的になり、みんなの場所という性格がうすれないか?
*一部の人が申し込んで毎週、毎月使う施設でなく、公平に平等に誰にでも開かれた自由に使える場所にしたい。エレベーターがつくのだから、図書館や使う頻度の少ないホールは上の方にして、一階はお母さんが広場で子供を自由に遊ばせながら見守るロビーなどが欲しい。など、いろいろなプランが考えられる。
*前は女性たちの要望で自由に使えるロビーがあり、おしゃべりをしたり、こどもたちが宿題をしたりしていた。いまは椅子もなくなり、展示スペースになっている。
*まえにエディブルランドスケープ研究会をしていた。いざとなったら谷中墓地の中でも食べられる植物はたくさんある。またどこに井戸があるかも調べた。そのような情報も共有したい。
*全国的に今までの公共建築には談合や政治家との関係がつきものであった。今回は全て可視化して工事が業者や政治家のためのものでなく、住民の命を守るためのものであってほしい。
*台東区では山谷の越冬闘争など,路上での煮たき、風呂つくりに長けている人たちがいる。その知見や技術も取り入れる必要があるだろう。
*3・11の犠牲者の死を無駄にしないためにも、3・11に学び,よりよい施設をつくってゆく責任がある。設計者は住民の恋人、みんなで意見も言いながら応援していこう。デザインシャレットが行われると言うがこれも開かれたものにして,傍聴もお願いしたい。

(司会・西川直子・森まゆみ)

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