とてもささやかな言葉遣い「言の端」の話 ~台風26号、「郡山の東160km」~

列島各地、ことに伊豆大島に多大な被害をもたらした台風26号が過ぎて行きました。
苛酷な目に遭われた伊豆大島の亡くなった方々とご遺族には心からお悔みを、土砂被害に遭われた皆様には、心からお見舞いを申し上げます。
この、10年に一度の規模といわれた台風26号と「福島」にまつわることを少し書きたいと思います。

10月になっても広がっている太平洋の海水温27度の海域で、勢力を蓄え衰えを知らず、北上してきた台風26号は、風雨共に甚だしい大きな台風だった。
その進路は南大東島を暴風圏に巻き込みながら九州、四国沖へ。東に進路を逸らして潮岬沖を東北方向へ。進路は一時首都圏を襲うかともみられ、その場合、最悪、福島第一原発を十分に直撃しそうでもあった。
何とか首都圏、原発直撃は免れたものの、進んで行った先は千葉県沖から茨城県沖、福島県沖、である。
台風の中心を東に見ながら、首都圏は前日から交通機関の麻痺を案じて右往左往。混乱先取りの様相を映し、「東京都」の伊豆大島が、海の上で遮るものもなく暴風雨に晒されているのに、深夜の台風情報では、首都圏の明日の交通の混乱が一番の懸案のようにテレビ報道されていた。
報道側の都合や、何を以て軽重と認識し判断しているかを反映してしまう、ニュースの内容と時間数。解説の言葉の端々には、隠そうとしても抗いがたく表れてしまう、ニュースの軽重。情報量によって左右されるとはいえ、首都圏がそんなにそんなに偉くて重要なの?

で、一夜が明け、台風は茨城沖から福島沖、東北沖へ。太平洋を進んでいく台風の位置説明の「言葉の端」の話をしたい。
福島第一原発の沖を台風の中心が通過したのは16日朝ほぼ10時ごろ。その時に気象庁から発せられる情報でNHKが台風の位置をどう説明したか。
こんな重箱の隅をつつくような「言葉の端」を考えながら聞いていた人や、それを覚えたりしている人はそうそうおられるまいが…。
「郡山の東160km」。これが、気象庁とNHKが繰り出した表現である。
このことを教えてくれたのは、ラジオで台風情報を聞いていた私の妹であるが、彼女は、この表現にわが耳を疑ったという。
郡山は、福島県を縦3本に短冊のように分けたうち、中央の中通り地方の南北ほぼ中央に位置する、福島県内で一番大きな都市だ。県庁所在地はその北方50㎞の福島市だが、四方からの交通が集中する郡山市は福島県の経済的中心都市で、市のほぼ中心を阿武隈川が北へ流れる。東北本線、東北新幹線、東北道、国道4号線の、東北の大動脈が南北に貫いている。東には阿武隈山系。その山並みを真東に越えれば、60㎞のところに福島第一原発がある。
台風26号が通過して行ったのは、その100km沖の太平洋上だ。

これまでの私や妹の記憶では、福島県沖を台風が北上していく時、テレビやラジオの台風速報で「郡山から東○○㎞」という表現を聞いたことはない。
いつもなら「福島沖100㎞」あるいは「小名浜沖○㎞」であるはずだ。
洋上に台風の中心があれば、「台風の中心は○○沖○kmのところを時速○○㎞で進んでいます。今後の進路は…」であり、○○に入るのは、ほとんどが海岸沿いの主要港湾のある都市名なのは、多くの人が馴染み知っている。その起点都市名が突然変更になると誰しも違和感を覚えると思う。
この日、妹をその違和感が直撃し、それを伝え聞いた私はもっともっと『おかしい、情報の歪曲』と直感した。
郡山沖160㎞はすなわち原発沖100㎞。その連想を避けたかったのか、原発からなるべく遠い印象をかもしたかったのか、あるいは原発沖をもろに通ることを隠したかったのか。
直撃ではないものの、風雨激烈な台風に、すでにぼろぼろの状態である福島第一原発がさらなる危険に晒される状態にあることに対する「報道的過剰な慮り」の表現か。それがこの普通ではない起点の据え方、という表現を作ったのではないか…。
私と、私に「おかしい」と知らせてくれた妹の感覚は、そう教えている。
さらに穿ってみれば、「ふくしま」という地名を避けたかったのではないか、とも勘ぐれる。「福島という地名」まで言葉狩りにかけられようとしている…と思うのは私だけだろうか。勘ぐる、で済めばよいのだが…済むとは思い切れないのが切ない。

嘘は大きいほど沢山の人を騙しやすい…といわれる。
一方で、「真実は細部に宿る」ともいう。言葉は何より、細部から嘘を暴露し、嘘の底を割る。
「郡山の東160km」と表現した気象庁とNHK。この二者へも、さらなる不信を積まなければならないこととなった。せいぜい今後も、台風情報の際は聞き耳を立てることにしよう。

26号台風が真東沖100㎞を過ぎる5~6時間前の16日早朝5時40分、福島第一原発では、タンクの裾に作っていた堰を開いて雨水とも汚染水とも、今となっては誰も検証しようの無い「何らかの水」を「敷地内」に放出した。原子力規制庁はこれに先立つ深夜、「規制値を下回る」として堰を開くのを認めたという。
しかしこれは、続いている汚染水漏れ、台風時の雨水処理の失敗などから学んでの結果だろうか。
否。まったく「学ぶ」ことにはなっていない。放水は国民の納得を得られないことであり、国、東電、規制庁にはさらなる不信感が募る。

言葉は、単語一つは小さくとも、2つ3つ…と重なると、わずか数語でも『あれれ?』というほどに、その言葉自体が嘘を暴いてしまう力を持っている。
言の葉。言の端。些細でも「端」に真実が宿って、人の心の中、底に、直截に響いて嘘を射抜いていく。言葉の無力を感じる一方で、言葉の力を恃みたい、信じたい、と思う。 
                トメ

(覚書:2013 10/16 参院議員会館 告訴団検察審査会→日仏へ 藍原さんと行った夜書く。19日震災字報に投稿) トメ

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