【募集】ミシン・アイロン・裁縫道具を四倉に運びます(1次募集締め切りは2012年10月23日)

支援でつながりのできた四倉の「鬼越し仮設住宅」に住む方々がブラウスなどの洋服を作って販売する計画があります。仮設には要塞のプロもおり、材料となる布については、現在いわきでは着物の処分を考えている方が多く、手に入ります。
そこで、こちらではミシン・アイロン・針箱などの裁縫道具を送ることになりました。家に不要のものがある方、新たに支援してくださる方は2012年10月23日(火)までに光源寺にお持ちください。よろしくお願いいたします。

TEL/FAX:03-3821-1188
〒113-0023 東京都文京区向丘2-38-22
駒込大観音 光源寺

10月25日に文京区の民生委員、社会福祉協議会、福祉課の方々が研修旅行でいわきに行かれます。引率は光源寺の島田冨士子さんで、つながりのできた四倉の仮設住宅、久ノ浜の諏訪神社でお話をうかがう予定だそうです。荷物はこの時に積んでもらいます。

また、10月20日(土)には久ノ浜で奉奠際花火大会が行われます。つながりのある北いわき再生発展プロジェクトチームも共催する催しです。詳しくはこちらをご覧ください。http://kitaiwaki.blog.fc2.com/blog-entry-37.html

【募集】ミシン・アイロン・裁縫道具を四倉に運びます(1次募集締め切りは2012年10月23日)」への4件のフィードバック

  1. いろいろ、いわきのために遠くからいらしゃってくださってありがとうございます。
    島田さんならご理解いただけるかと思い、書いています。

    「ガレ花」などというイベントも、いわきで開催されていますが、私はとても悲しく思っています。
    私は、肉親が震災の津波で亡くなり、家も津波で無くなりました。残されたのは土台だけ。行方不明の肉親を探して、瓦礫を持ち上げ幾日も探しました。

    瓦礫という言葉を聞くと、今もあの何mにも積み重なった瓦礫の中を捜し回った記憶が蘇ります。また、その瓦礫でつぶされた遺体の写真を何枚も見せられた記憶が蘇ります。

    「ガレ花」などという言葉が思い浮かぶこと自体が、そんな被災者の気持ちを本当に理解してはいないのでは…という気持ちになる時があります。

    よかれと思いやっているボランティアの人たちには、申し訳なくて言えないのですが、いろいろな気持ちを抱えている人たちがいるということを理解することも大切なのではないでしょうか。人の気持ちをステレオタイプナな理解の仕方ですることは、いかがなものかと思うのです。

    また、花火大会も家が無くなって土台だけが残った地域だからこそできるイベントです。家が建ち並ぶ地域でできるイベントではありません。
    「障害物がなくなって、花火がとてもきれいに見えた」と、コメントしたブログもありました。
    家が流されて土台だけになった家の持ち主としては、そんな家の上に上がる花火は悲しさを伴ったものでしかありませんでした。

    島田さん、そんな気持ちを持つ者もいるのだということを、ボランティアの人たちに伝えもらえませんか??

    いま、ボランティアプロジェクトの人たちの中には立ち上げた頃の初心を忘れて、「イベントのプロジェクト」に変わってしまっている人たちも多いような気がします。

    もう一度、震災当時の気持ちに立ち返って、また被災者の悲しみをもう一度考えて、プロジェクトを進めて欲しいのです。

    あの当時、瓦礫を片付けてくれたボランティアの人たちに感謝しているからこそ、今の実態や考えが変わってしまったことが残念でたまりません。

  2. 震災孤児さんへ

    谷根千・駒込・光源寺隊の菊池京子です。コメント拝読しました。書き込みに気づかずにごめんなさい。
    読ませていただきました。書き込み時間はまだ暗い朝方、というより夜中ですね。眠れないのでしょうか。お体は大丈夫でしょうか。
    お書きになることは辛さの追体験でしょうけれど、それでも書いてくださって、ありがとうございます。感謝します。

    何度も久之浜や四倉におじゃましている1人として、お気持ちの一端でも察することができるだろうかと自問自答しています。想像を絶することを体験され、今も、あの日を今日のことのように感じておられるのだと思うと、切なくて苦しいです。くれぐれもお体とお心を大切にしてください…ということくらいしか言葉が見つからないもどかしさを、今日もまた感じています。

    ガレ花やイベントなどのことに関しては、私もどこかに違和感を抱きつつ、久之浜にお邪魔してきた者の1人です。今年の奉奠祭には、谷根千・駒込・光源寺隊は協賛しませんでした。島田さん、山崎さん、菊池の3人のコアメンバーだけですが、話し合って協賛を止すことにしたのです。その根底には、「震災孤児」さんが感じていらっしゃることにどこか通じるものがあったから、とも思っています。

    心も行動も、至らぬところがたくさんあり、お心を傷つけたり逆撫でしたりして来たこと、これからもすることが沢山あることと思います。でも今度のように、またメッセージをいただけたらと思います。
    私達に、どうか苦しさを分けてください。そして、お気持ちやお考えを伝え、教えてください。

    私が震災後の久之浜に初めてお邪魔したのは昨年の4月28日でした。どしゃぶりの雨が降った後の午後、小名浜から片浜循環線を北上し、永崎、中之作、江名。恐くて豊間には寄れませんでした。もっとも立ち入り禁止でしたが。新舞子は通れず、六十枚橋まで迂回して、四倉。久之浜まで行って、6号を右折したとたんに、おっしゃっていた「何メートルもある瓦礫」が濡れそぼった山になっていて、ダンプが行きかっていました。全身脱力して立ちあがることも難しかったことを覚えています。

    「そんなものではない」というお叱りも覚悟でこれを書いています。
    でも少なくとも、地続きに久之浜があることを谷根千・駒込・光源寺隊の面々とその支援者たちは忘れていませんし、何も終わっていないことも、忘れてはいません。

    冬至に向けて、まだまだ夜が長くなります。眠れない夜は、ホッとミルクを召し上がってみてください。それにちょっぴり何か甘いものを。お体くれぐれもお大事になさってください。
    長々失礼しました。ではまた。

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