~谷根千・駒込・光源寺隊、ふくしま・いわき・応援団活動レポート(報告:菊池京子)~
谷根千震災字報で報じられた「フタバから遠く離れて」のリレー上映で、谷中コミュニティセンター、千駄木記憶の蔵の2会場において〈おちゃっぺ米〉と名づけたお米を販売しました。
このお米は、映画で描かれた埼玉県騎西市の旧騎西高校避難所に福島県双葉町から避難して来られた方が、近隣の休耕田を借りて作ったお米です。
11月24日は、主催者から鑑賞予約者に〈おちゃっぺ米〉300g入りがプレゼントされました。これとは別に、谷根千・駒込・光源寺隊とふくしま・いわき・応援団としては販売コーナーで1kg入りを26袋販売。谷中会場で8袋、千駄木会場で18袋が売り切れました。
注文表も配り、その中で次のように書いて〈おちゃっぺ米〉をPR。作り手の方々の思いを少しでも伝えられるように、応援させていただきました。
この場を借りて、お米の生産者で今回の販売のきっかけとなった北原さんにお礼を申します。同時に、今回の計画と、今後も同様の機会があることを想定した準備にご協力いただいた、たくさんのボランティアの皆様にもお礼を申します。
以下、販売に至る経緯と当日の模様までを報告します。
手作りグッズで〈おちゃっぺ米〉の理解を図りました。
まずは〈おちゃっぺ米=品種は「彩のかがやき」〉の注文書にまとめた文面から、〈おちゃっぺ米〉というニックネーム命名の意図するところ、生産者の北原さんたちの思いをお汲み取りください。
「〈おちゃっぺ米〉は、2011年3月の東日本大震災によって起こった原発事故の放射能禍を逃れ、福島県双葉町から埼玉県加須市旧騎西高校に避難してきた双葉町民の中で、北原保洋さん、木幡(きはた)敏郎さん、山田和夫さんの3人が、近隣の埼玉2市の有志に借りた田んぼで作ったお米です。休耕田を稲作向けに戻し、故郷・福島県双葉町とは土も水も風も、気候風土すべてが違う中、懸命な農作業を経て2012年秋、初めての収穫を迎えたものです。「おちゃっぺ」とは、福島県浜通りの古い方言で「おしゃべり、おしゃべりな人」という意味。食後の団欒に和やかなおしゃべりがあるように〈おちゃっぺ米〉が楽しい時間を紡ぎ、原発や津波、震災の避難で離れ離れになってしまった家族や友達や地域の人たちとの縁やつながりを結び直す一助になるようにと願い名づけました。」
今回の販売は、文京区社会福祉協議会が昨年から行ってきた「おちゃっぺ会」11月3日の回に、かねてからの参加者の紹介で北原保洋さんがみえたことに端を発します。この日、北原さんは自作の注文書を携えて会にみえました。そこで北原さんと〈おちゃっぺ〉したのが湯島在住のボランティア・深野智子さん。南相馬出身の深野さんは、故郷のためにといろいろボランティアを続けて来られ、今回は谷根千・駒込・光源寺隊、ふくしま・いわき・応援団の活動に混ざってくれました。
北原さんと深野さんの話は、翌週には埼玉の田圃を見学に行くことに進んでいました。菊池もそれに誘われ、「何はともあれ」と思っておじゃましました。
その際、お米をどうPRし販売したらいいか、北原さんたちは思いあぐねているようでしたので、11月24日に企画されている「フタバから遠く離れて」の上映会場でお米のアンテナ販売をしたらどうか、と2人で提案しました。すると北原さんは「それはいいですね」と即答。翌日から東京と埼玉で、準備にかかりました。
北原さんには、放射線検査証明書を添付してもらうよう願いし、私達と光源寺さんからの注文の米・計120㎏の用意をお願いしました。慣れない土地では、検査や書類の用意も大変だったようです。
片や東京でも、あちこちへの連絡や合意の取り付け、細々とした物の用意に始まり、いよいよ22日には、向丘の光源寺さんの蓮華堂をお借りして、12名のボランティアさんたちが集まり本格的な準備開始です。ところが、北原さんの車のトラブルなどでお米が届かず、この日は販売POP作りと、訪れる方に理解していただきやすいように、農作業の様子などの写真を構成したパネルなどの作成に専念しました。
翌23日、朝8時半に北原さんがお米を運んで来、集まった8人のボランティアでお米の小分けと翌日の準備を、昼前までに整えました。
24日の上映会当日は、深野さんと谷根千・駒込・光源寺隊でずっと、いわきへの支援と記録に当たってこられた小松崎栄一さんが販売に当たってくれて大助かり。〈おちゃっぺ米〉は即日完売しました。
深野さんは当日の模様を次のようにまとめました(要約)。
「おかげさまでお米販売をした2会場とも満員となりました。蔵ではお客さんが入りきれずに次の会場のJAZZ喫茶〈映画館〉さんにご案内するという事態も。~(中略)~監督にも(お米に添えた)放射線測定証明書をはじめ、注文書もお話のなかで取り上げていただきました。谷中のほうは福島から避難されていらっしゃる当事者にあたる方々が割合として多かったような気がします。蔵では、福島を支えようとご理解いただいている方々や、なにかしらの運動や活動に参加なさっている方々が多かったようです。~(中略)~沢山の関係者の方々にお世話になりました。コミュニティのちからとあたたかさを感じた1日でした。再度皆様に感謝をおくります。」
また、小松崎さんは何点もの写真を添えてこう書いています。
「監督からは、300時間記録した映像の話、160ページに渡る見舞金の書類の話、土地や建物の賠償が置き去りになってる話、国や政府の対応の遅さについての話がありました。東京に避難してる女性(深野さんの知人)の方から「東京に馴染めない話」「被害者意識から前に進む話」「TVで見てるのとは違うんです!」「聞いて下さい!私達は福島に帰りたいんです!」など、涙まじりに訴えていたのが強く印象に残りました…。」
小松崎さん撮影の会場の写真を添付します。
また、この日の販売がつながて、お米の注文や北原さんにお話をうかがいたいという招請も入ってきています。
来る12月16日には秋葉原で、「双葉町町民参加の〈7000人復興会議〉」という催しの会場で、また〈おちゃっぺ米〉を販売することを予定しています。(詳細未定)
決まり次第またお知らせしますので、今後とも皆様のご協力をお願いいたします。
上映後、監督とゲストからの話。舞台上のテーブル席の左端が舩橋淳監督、中が北原さん、右は双葉町からの避難者の亀屋さん。
「満席です、若い方も見かけましたが、30代以上が中心…と言う印象です。福島出身の方が「どうしても言いたい」と言う事で挨拶。「風評被害を何とかして欲しい」と力強く訴えていました。ちなみに、蔵では、地震が来た時の対応を会場で説明してる時に地震が来ました。」(小松崎さん)