6月5日はおよそ50名の参加者がありました。長丁場をずっと付き合ってくださった方も多く、また、会場が狭いので暑く窮屈でもありました。どうもありがとうございました。
会話をどうやって組み立てていくか悩み、テーマごとに進めていくのがわかりやすいのではないかとはじめました。
答えは見えなくとも、経験、見聞、活動、思い、悩み…、語るのも聞くのも身近な人だということが大切だと思った企画です。
あっという間の3時間半で、主催者にとっては予想以上に貴重な時間となりました。
しかし、たくさんの反省点もありました。
テーマ以外に、地域別、あるいは参加者のすべてにお話していただく工夫も必要だったのではないか、
参加者の会場にいられる時間への配慮や、あらかじめ関心のあることをメモ程度でも集めておく必要があったのではないか、などです。
今後に活かせるご意見をいただければ嬉しいです。
6月5日の詳細は、時間をいただきますが谷根千震災字報 https://311.yanesen.org/ にてお知らせしていきます。
当日、一人での進行に四苦八苦していた森まゆみのブログ原稿が届きましたので転送します。
6・5みんなで震災を語り合う
午後1時半から谷中コミュニティセンターで5時まで3時間半のロングトーク。
テーマは義捐金、物資支援、炊き出し、避難所支援、仮設住宅、瓦礫処理、町の再生、わが根津の被災、原発、農業と漁業、そのほかなんでも。被災地を見てきた人たちの感想。いわき、気仙沼、山元、新地、南三陸、登米。意見、アイディア。
大塚モスクのハルーンさんより、なぜモスクはこれほど迅速に長く支援を続けているか、という話も胸にせまった。トルコのムスリムは11日の夜の便でトルコを発ち日本に支援に来たそうだ。その受け入れや同行をしているうちにハルーンさんたちも支援を始めてしまったという。
いわき出身の菊地さんは「地域のみんなが自分の故郷のためにこれほどがんばってくれるかと思うと泣けてくる。でも原発がみんなの心を塞ぎ、元気がなくなっているし、安心だと思い込みたい複雑な心境になっている。そう思わないといわきでは暮らせないから。東京から数値などとうてい伝えられない状況」
それはわが丸森へ対しても同じ。なんといっていいかわからない。東京だって都は新宿の高さ18メートルのところで測った数値を公表しているだけ。
谷中防災広場をよく使う若いお母さんたちの発言も新鮮。
「小さな子どもがいると被災地にも支援に行けず、光源寺でおにぎりを握るのは少し何か役に立てている気持ちがした」(わたしなんか阪神淡路の時は何もしなかった。えらい)
「子ども連れではお弁当が使える施設がほしい。飲み食いが禁止される施設が多い」(ほんとうだあ)
「防災広場の椅子の下に煮炊できる器具があるというが日頃使ってないのにいざという時に使えるのか?日常的に使ってみた方がいい。オーストラリアのようにバーベキューサイトがあれば住民の交流にも役立つ」(そのとおり)
「放射能が気になっても自分の子だけマスクをさせると、何気にしてんのといじめの対象になったりする。弁当を持たせると先生がお宅のお子さんだけですよ、とかいう。本当の気持ちを話し合えないで鬱屈が溜まってゆく」
だからみんなでこれからも話し合おう。なにせヤマサキは会場整理とお茶の係だし、私一人で討論をさばいて、まことに不手際、ごめんなさい。なにか話したいことがある人、といっても日本ではなかなか手が上がらない。南三陸町に長いこといっていた建築家の松下朋子さんの姿も見えたのに、いつか見えなくなった。ぜひ今度は話してくださいね。原発のはなしももっとしたい人が多かったはず。
森まゆみ