谷根千・駒込・光源寺隊として活動をともにしてきた、舞踊家でアトリエ・ノ・マド主催の熊谷乃理子さんと、1月12日、13日、14日は菊池1人で、いわき市内の各所を訪ねました。
◎12日 午後 久ノ浜へ
久ノ浜商工会議所
久ノ浜第一小学校の校庭に、プレハブで昨年オープンした「浜風商店街」の中にある、久ノ浜商工会議所に根本真一主査を訪ねました。
熊谷さんら、音楽と踊りの方々が企画している3月30日~4月1日にかけての古楽器のオルガンとダンスのパフォーマンスイベントの打ち合わせに同行し、イベントと同時に県民健康管理調査の記録&記入支援が開催できないか、主査の根本信一さんに打診しました。
3月末を待たずに、2月4日、豆まきのイベントがあるので、その日、イベント会場の一画に、記録&記入支援のコーナーを設けていただけることになりました。
久ノ浜公民館
上記と同じ、年度末のイベントの会場下見に同行し、館長の門馬英明さんに、記録&記入支援会の開催を呼びかけました。趣旨に大いに賛同していただけ、2月3日~6日に、公民館で確定申告の説明会があるので、館内の一画に記録&記入支援のコーナーを設けていただけることになりました。
商工会議所と同様、年度末になる前に、開催することができることになりました。
上記の2つの会については、近々開催の告知チラシポスターをお送りし、希望者を募る予定です。
◎13日 午前中 平市街
○ 平中平久保 指定障害者支援施設 はまなす荘
3月末のオルガンとダンスのイベントのもうひとつの会場です。
50人の障害者が暮らす、まだ新築の木の香漂う施設で、イベント会場は食堂ホール。ダンスの熊谷さんと、オルガン提供者で歌手の石井賢さんが会場下見をしました。
菊池と、いわき在住者でこの日の移動を引き受けてくれた円谷優子さんも同行させていただき、下見終了後、記録&記入支援会についてお話ししました。
ここでは、入所者は震災当時もいっしょの行動だったことから、個別に行動して個別の記録と記入が必要な職員さんの中で、希望者を募り、人数が集まった日に開催を検討してくださると、所長の新妻登さんがおっしゃってくださいました。
記録&記入支援について、県民健康管理調査という事業の回収率アップの支援ではなく、あくまで原発事故下での個々人の記録を残すことを主眼に応援したいという谷根千・駒込・光源寺隊の考え方に、深く理解を示してくださいました。
昼~午後
平 アリオス
いわき市の「いわき芸術文化交流館 アリオス」も、3月31日の「オルガンでうたおう! オルガンでおどろう!」のイベントの会場です。プロデューサーの足立さんの立会いで、会場となるリハーサル室の下見を行いました。アリオスの中では、記録&記入支援は難しいのですが、その趣旨はお話ししてご理解いただきました。
○ 中央台 赤池孝行さん、陽子さんご夫妻を訪ねる
谷根千・駒込・光源寺隊がこれまでたくさんのご協力と情報提供をいただいてきた「あしたげんきになぁれプロジェクト」の代表・赤池さんです。
赤池さんのお宅は、いわき中央台ニュータウンの中にあり、この中央台には、福島原発警戒区域などから避難されている約1000世帯3000人の仮設住宅があります。赤池さんはこの仮設への支援を多角的に行っておられます。
谷根千・駒込・光源寺隊が応援し、お手伝いしてきた、四倉や久ノ浜からの避難者や自宅被災で困難に直面している方々を支える巡回活動をしている若いお母さんたちのグループ「きずな」にも大きな力を貸してくださっています。
「きずな」の皆さんは、それぞれにご苦労の少なくない状況にありつつも、頑張って活動されていること、年末には、谷根千・駒込・光源寺隊からのもち米を使って、餅をつき、餅は喉に詰まって危ないお年寄り宅にはお蒸かしを作って配った様子を話してくださいました。
秋から、この中央台仮設で赤池さんがフックやハンガー、棚などを作る活動をされてきました。谷根千・駒込・光源寺隊でもその活動を支援しようと、フックやハンガーなどの小物、ツッパリ棒などを募り、折々届けてきました。
この「ハンガー、フック作戦」は、「反響が良くて、次第に『あっちにもこんなのが欲しい』『こっちにこんなのが欲しい』という声が出るようになった。そんな中、入居者の中から、棚をつるのが上手い人が出てきたので、そちらに、発展的に譲るようにした。自分も、調整などの役目が増えて大変になってきたので、助かったし、ニーズにより多くこたえることができるようになってよかったと思う。たくさんのハンガーやフックの支援、これまでありがとうございました」
ということでした。
ハンガーフック作戦は、成功裡に発展的に終了、ということになりました。
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
薄磯、豊間、新舞子を訪ねる
いわき出身で、震災後、幾度もいわきと東京を往復している菊池ですが、これらの地区を訪ねたことはこれまでありませんでした。
いつも広い市内を走り回り時間がなかったのもさりながら、子どもの頃の夏休み、毎年遊びに行っていた親類の家が津波に流された豊間の様子を人づてに聞くたびに気持ちが落ち込んで、気持ちの中で目を背ける部分もあったのですが、今回は時間が許したことと、同じような思いを共有する4人が行動を共にしていたこともあり、意見が一致。寄ってみよう、となりました。
薄磯、豊間、両地区ともに、がれきはほとんど撤去されていて、初めて訪れる人には、ここに町があったことなど、想像できないような、ぺろんとした白茶けた土地が、コンクリートの土台と道を残して広がっているだけでした。
中に、何軒か津波を逃れ、手入れをして住んでおられる家もありましたが、それが本当のことなのか、実に現実感がない光景でした。でもそれが現実なのです。
豊間、薄磯を後に海岸線を四倉・久ノ浜へと、松林で海岸線の侵食を防いでいる新米舞子を北上すると、松林の中、あるいは、わずかに広さがある浜に、仕分けされた瓦礫が鋼材、木材、家電、tバッグ(1トンのものが入る肌色の化繊の布の大きな袋)に詰まったその他の瓦礫やごみなどが、うず高く積み上げられ延々と続いていました。
松林を過ぎ、四倉のに出ると、震災後から秋までは、壊れていはいるものの仮営業していた道の駅は撤去されていました。四倉高校避難所が閉鎖された後、復興際を行った場所です。
○久ノ浜公民館へ
さらに北上し、昨日と同様、久ノ浜公民館を訪ねました。
オルガン提供と歌の石井さんが、イベント会場の下見をすることが目的のひとつ。
暗くなる前に公民館を訪ね、オルガンの搬入経路などの確認をしました。
もうひとつの目的は、石井さんのお父さんの実家である、石井酒店を訪ねることで、石井酒店は、谷根千・駒込・光源寺隊が支援を続けてきた「北いわき再生復興プロジェクト」の拠点である諏訪神社の一軒左向かいにある、2つも蔵を有する古くて立派な酒屋さんです。
しかし、津波に直撃され、通りに面した店先は何とか店舗らしさを保っているものの、蔵は波が外から内から殴り叩き、頑丈なはずの壁の横腹壁が膨れゆがんでいます。
自宅である裏側に回りこむと、11ヶ月を過ぎたこの日も、この家の息子さんの車が家の中に突っ込んだまま。その車が逆に突っかえになって、崩れ落ちそうになっている屋根を支えているような具合でした。
諏訪神社の真向かいの家が、昨日、この日と重機で壊されていて、ほぼ壊し終えるところでした。作業員の方は、石井さんに建物の壊れ具合などを説明してくれ、また、諏訪神社の隣で酒店の真向かいの雑貨屋さんは、奥さんが出てきて石井さんに震災当時のこと、ご親戚の現在の住まいなどの情報をくださいました。
6月から何度も訪れてきた諏訪神社の周辺ですが、いよいよこの通りの建物も撤去が本格化し、神社の隣も更地になっていました。
神社には両日ともに寄りましたが、お留守で誰もいませんでした。久ノ浜での用事を済ませ、いわき駅前に戻り、熊谷さん、石井さんはこの日のうちに帰京されました。
14日 午前
中央台 赤池さん宅から高久第4仮設集会所へ
10月31日に3名の方の記入支援をさせていただいた、高久第4仮設集会所に、管理の広野みかんクラブの高梨さんを訪ね、仮設入居の広野町の方々の様子や記入支援の要望などをうかがいました。
しかし、「問診票の記入は、もう要望はないと思う。それよりも、お願いしたいのは、放射能や放射線、原発などの専門用語の簡単な解説など一覧や小冊子などでわかるようなものをお願いできないか、ということだ。ニュースや新聞を読む時や、被曝関連の広報などが回ってきても、入居者たち、特にお年よりには、単位や用語がよく分からない。ネットでいろいろ検索してみる自分でさえ混乱する。記入支援やマニュアル作りができる方々なら、そんなものを作ってもらえないか」というご相談を受けました。
制作を検討するとお答えしました。
今回おじゃましたのは3度目で、困っていることがおありなら、できるだけお手伝いできないかと、目下思案中です。いいお知恵がある方はご協力をお願いしたいと重い増す。どうか菊池までご連絡ください。
光林寺と満蔵寺
谷根千・駒込・光源寺隊の拠点としていつも力を貸してくださる光源寺さんは、浄土宗ですが、浄土宗として福島支援の組織を立ち上げると、光源寺の島田富士子さんから情報をいただきました。
情報交換や「きずな」や四倉の被災者の方々などにとって、今後何かのお役に立つかもしれないので、その支援組織の拠点となるという光林寺さんを訪ねました。
光林寺は中央台から車でそれほど遠くない場所にあります。しかしこのお寺は、内郷小島にある満蔵寺というお寺の加藤正典ご住職が兼務されていて留守でした。
貼り出してあった連絡先の満蔵寺に足を延ばし、今後のご協力をお願いしてきました。
以上の活動を行い、14日午後、帰京しました。
追記(2012年2月1日)
○2月1日、福島民友新聞に、2月3日、4日、5日の久ノ浜での記録・記入支援会開催の告知記事が載ったようです。
それを見て朝一番、平在住の方から、「久ノ浜の方だけでしょうか。できればお願いしたいのですが」というお問い合わせがありましたので、予備日に当てていた6日にお手伝いをするお約束をしました。
2月4日は、1月に商工会で記録・記入支援の考え方を説明した際、趣旨に賛同いただけたようで、お聞きになっていた方が参加されます。
記録・記入支援は、さーっと開いて多くの方が諸手を挙げて来てくださるものではありません。しかし、必ず気持ちの中に、不安を抱えてこうしたないので、地道なお知らせが必要です。
一人ができるとその家族の方の記録も綴っていくことができます。
一人でも二人でも、ご要望があれば可能な限り応えていきたいと考えています。
今、あさってからの準備とともに、参加者の方に、後々疑問、質問などがあった場合の、問い合わせカードを作っています。
○1月5日に、江東区の東雲住宅に避難されている方々に対して、「記録・記入支援は必要ありませんか」と、江東区社会福祉協議会を通じて問い合わせをしておりましたが、自治会の会議での結論をいただきました。
「東雲住宅への避難者は、すでにかなりの方が記入を済ませて返送しているので、特段記入会というようなものは必要ない。ただ、個人的にはニーズがあるかもしれないので、記入支援をの連絡先が入ったチラシなどをいただければ、掲示板に貼り出して告知はできる」旨、江東社協を通じてご連絡がありました。急ぎ、作成して送る手はずをします。
○中央台仮設からの「原発&放射能 専門用語の簡単解説」の作成準備は、遅々として進まず、6日に再度お訪ねして、具体的で正確なニース把握をしてきます。
以上、2月1日時点の活動報告でした。